1948年に山口県岩国市で設立され、純米大吟醸酒「獺祭(DASSAI)」で広く知られている旭酒造株式会社(以下、旭酒造)。2023年9月に稼働したニューヨークの酒蔵から見えた市場の可能性を受け、海外での認知度を一層高めるため、2025年6月1日(日)より社名を「株式会社 獺祭」に変更することを決定した。
日本の伝統的なモノづくりを背景に、「世界のDASSAI」を目指してグローバル市場への挑戦を続ける、旭酒造改め「株式会社 獺祭」の今後の取り組みとは?
今回は、旭酒造の会長・桜井博志さんと代表取締役社長・桜井一宏さんが登壇し、今後の経営戦略について語る様子をレポートする。
先代との対立と退社の過去を越えて...。会長・桜井博志さんの挨拶
まず、会長の博志さんが挨拶した。「私の祖父・桜井貴一が1910年に『櫻井酒場』を設立しました。『周東桜』という銘柄を販売し始めました」と、会社のルーツを述べた。1926年に正式に酒蔵が譲渡され、酒造免許は桜井貴一さんの名義となった。
大八車を使って村民3000名に酒を配るなど、商売は順調に進んだが、太平洋戦争に突入し、企業整備令により『櫻井酒場』は廃業に追い込まれた。
戦後の1948年1月、桜井貴一さんと次男の桜井博治(博志さんの父)さんにより旭酒造が創業。同年2月に酒造製造免許を取得し、「旭富士」という新しい銘柄を発売した。「そして、1950年に私、桜井博志が酒蔵の長男として生まれました」と会長は語った。
高度経済成長の波に乗り、会社は順調に成長したが、1973年の第一次オイルショック以降、日本酒業界は長引く低迷に直面した。博志さんは「私が大学を卒業したのが1973年で、売り上げが昨対比の5分の1にまで落ち込んだのを覚えています」と振り返った。