魚肉ソーセージが今、再び売り場での存在感を取り戻している。その背景には、タンパク質需要の高まりや備蓄意識の変化といった市場要因に加え、つくり手側の制度への挑戦や技術の積み重ねがあった。今回話を聞いたのは、魚肉ソーセージのリーディングカンパニーの1つとして知られるUmios株式会社(旧マルハニチロ株式会社)・チルド食品事業部 事業企画課の綿引悠太さん。
社名も変化の波を迎えたなか、原料の選定、レトルトを支える製造現場、特定保健用食品発売の舞台裏、心血管疾患リスク低減表示への道のり、さらにブランド刷新の戦略まで、1本の魚肉ソーセージが企業の歩みと現在地を映し出していた。

魚肉ソーセージって、何の魚でできている?
ーーまず基本的なところから伺いたいのですが、魚肉ソーセージはどんな魚を使っているのでしょうか?
【綿引悠太】文字通り主にお魚ですね。メインとしてはスケソウダラで、アラスカなどで獲れたものを使っています。寒いエリアで獲れるお魚ですね。一方で、弊社の場合は太刀魚とかエソ、ママカリとか、なかなか鮮魚では食べない魚も使っています。そちらはどちらかというと東南アジアなど暖かいエリアで獲れるお魚になります。そういったさまざまな魚を組み合わせながら作っています。

ーー季節によって、配合などに変化はあるのでしょうか?
【綿引悠太】厳密に言うと、その中での組み合わせは調整しています。どうしても自然、天然のものになるので、季節によって脂の乗り方が違ったり、弾力が違ったりします。最終製品が均一になるように、工場のほうで組み合わせながら作っています。同じお魚でもロットによって状態が違うことがありますが、そこはノウハウの中で調整しています。
1935年から続く、魚肉ソーセージの歴史
ーー魚肉ソーセージの歴史はどのくらいになるのでしょうか?
【綿引悠太】弊社で言うと1953年から始めていますので、70年ほどの歴史があります。ただ、食べ物としての発祥は1930年代までさかのぼります。当時はマグロがたくさん獲れていたのですが、冷蔵物流や家庭用冷蔵庫がない時代で、夏になると浜値が一気に下がってしまう。そこで常温で保存可能な加工品を作れないかということで、国主導で試作が始まりました。

記録では1935年に当時の農林水産省水産講習所の教授がマグロを使ってツナハムの試作販売を行ったとされています。弊社が本格的に作り始めたのは1953年で、その頃に参入したメーカーが今も多く残っています。
ーー昭和の時代に広く普及した理由はどこにあったのでしょうか?
【綿引悠太】安価で、常温で保存できて、すぐに食べられるという点が大きかったと思います。昭和世代の方はおやつとして食べていたという記憶が強いですよね。そうやって生活の中に入り込み、各社が改良を重ねながら続いてきました。
昭和のおやつが、今再び選ばれる理由
ーー昭和の懐かしい食べ物という印象がありますが、最近また注目されていますよね。
【綿引悠太】魚肉ソーセージ自体がここ10年で大きく変わったわけではありません。もともと色々な栄養が摂れる食品でした。ただここ数年でタンパク質への注目度が上がったり、SNSで情報が拡散されたりして、時代の流れと噛み合った部分が大きいと思います。

ーー御社としては、どのような取り組みをされてきたのでしょうか?
【綿引悠太】2024年に発売した商品が一つの転機でした。日本で初めて、心血管疾患という疾患名をリスク低減表示として明確に謳うことが認められた商品です。いわば、日本初の心血管疾患リスク低減表示食品になります。テレビCM、ウェブ広告、サンプリングなどを行い、生活者の皆さまと魚肉ソーセージとの接点を増やしました。テレビで取り上げていただく機会も増え、それを見た方がスーパーで買い、料理に使い、SNSに投稿する。その循環が生まれました。
ーー具体的な食べ方提案もされていましたよね。
【綿引悠太】はい。「お湯ぽちゃ」と呼んでいる食べ方です。フィルムのままお湯に入れて1分間温めるだけで、工場できたての味を再現できるという提案でした。魚肉ソーセージは製造工程で加熱をしていますので、できたては温かいんです。工場に見学に来られたお客様ができたてを食べた際の「普段食べるものより格段においしい」という感想がきっかけでした。温めることで、ソーセージの中に入っている油が溶け出し、食感も変化します。ふわふわジューシーなソーセージを楽しんでいただけます。調理も簡単で、誰でもすぐに試せる。メディアでも取り上げていただき、非常に反応がよかった施策でした。