ウォーカープラス

数々の国際舞台で活躍し、その美しい演技で世界中を魅了した元体操日本代表選手の田中理恵さん。現在はメディア出演や体操の普及活動に取り組みながら、プライベートでは2児の母として日々奮闘されています。今回は、田中さんの原点である幼少期のお話から、日常の中で「電気の大切さ」を家族で共有する工夫まで、たっぷりとお話をうかがいました。


壁を乗り越え、三きょうだいでつかみ取った五輪の舞台


元体操日本代表選手の田中理恵さん


――まずは、幼少期に体操を始めたきっかけから教えてください。


私の父は体操のコーチ、母も体操選手だったので、物心ついたころから家の中に鉄棒やトランポリンがあるのが当たり前でした。先に体操を始めた2歳上の兄(和仁さん)が逆立ちやジャンプをする姿を見て「お兄ちゃん、カッコいい!」と憧れたのがすべての始まり。小学校1年生から本格的に競技の道へ進みました。


【写真】2012年のロンドン五輪に出場。現役引退後はタレント、解説者、指導者として活躍している


――当時はどのような日常を過ごされていたんですか?


放課後、校門の前で待つ母の車に私と兄、2歳下の弟(佑典さん)で乗り込み、体育館へ向かうんです。夜9時まで練習して、帰りは車内で母の手作り弁当を食べるのが定番でした。帰宅は夜10時頃。そこから宿題をしてお風呂に入って寝る、という目まぐるしい毎日でしたね。


でも、「練習がつらい」と感じることは全然なくて。「新しい技を覚えに行くぞ!」というワクワク感の方が強かったんです。小学校時代は体操がとにかく大好きで、毎日を純粋に楽しんでいました。


体操一家で育った、田中三きょうだい(左から兄・和仁さん、弟・佑典さん、理恵さん、父・章二さん) 写真=田中理恵さん


中学に入ると五輪出場という大きな目標も見えてきて、さらに熱を入れて頑張っていたのですが、中学3年生のときに初めて大きな壁にぶつかりました。足首の骨が欠けて関節内を動く「遊離軟骨」というけがをしてしまったんです。それまでは「楽しい!」だけで突き進んできたので、思い通りにならない体に戸惑い、体操に対して初めて心が暗くなる時期を経験しました。


――けがのあとの苦しい時期はどう乗り越えられたんですか?


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